2014年5月2日金曜日

自分と写真というものに関して140字を超えた散文

他人の機材なんて知ったこっちゃ無いし、趣味である以上
自分にとって最適な装備をその時々で選択するだけなのだが、
それでもあえて表明する
僕はデジタル写真ラバー、フィルムは使わない人間。

写真を初めた理由が、日々を記録したい、目に写ったものを残したい
すなわちライフログである以上、フィルムはコスト的にもパフォーマンス的にも不適合。

目に写ったもの、と単純に言っても、人間の目はとても優秀。
それに付随するにはデジタルの利便性が不可欠というわけ。

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例えばこの写真、数年前、夜明け前の薄明かりの中で撮影したものである。
SONY NEX-5でISO25600、その類まれなる高感度特性のおかげで辛うじて
目にしたモノと同等の雰囲気を残して記録できている。
これはフィルムでは不可能。


振り返れば、生まれてこの方、フィルムカメラはまともに扱ったこと無い
初めて触ったのが小学生の頃、富士フイルムのFinePix4500で
それ以来、自分の成長とともに、進化するデジタルと並走してライフログ写真を残してきた。
だからフィルムの良し悪しはわからんし、語らんし。

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もっぱら携帯のカメラ機能で残していた高校生時代を抜け、デジタル一眼を買った頃は
何が出来るのか、にワクワクして色んな試みをしていた。



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それがいつの間にか、自分の視点と同様の見え方を切り取るようになり、



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少し気取った写真も撮ってみたりして、暗中模索の中で今に至っている。


写真を記録にして、記憶の残り香としている自分にとって
どんな環境でも”写す”というデジタルの馬鹿馬力は強力な道具である。
写っていれば、それをトリガーに自分の記憶を遡れる。
しかし、写っていなければ0であり、1には出来ない。


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だから、俺はこれからもデジタルを使い続ける。
記録できるなら、最新テクノロジーはどんどん使う。
機会があれば、画期的なカメラを生み出したい、世界を変えたい。
技術者の端くれたる覚悟と夢でもある。


道具に優劣は存在しない。
自分の好きなモノは好きだと言って、それ以外には無関心でいい。
全方向に中指立てたっていいことはない。
ただ、自分のしたい何かを深化できれば、それでいいじゃないか。

金があれば道具は用意できる。
まして、カメラや楽器なんて2桁万円で大概かたが付く。
最後は自分のなにかしら、クソみたいな言い方すれば感性ってヤツが必殺技で。

俺の、あんたの、君の、誰かの、それぞれの人生哲学ってやつで活きればええじゃん。
上も下も無いんだからさ。


好き勝手書くと珈琲が美味い。
Twitterの140字と違った楽しみが、あるよね。

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